潰せないほど大きい

 
米国ビッグ3の行方に世界の注目が集まっている。
もちろん僕もその一人だ。
 
ビック3は文字通り規模が巨大で、例えばGMが潰れたら約120万人が職を失ったり、OBなどが生活に困るだろうと言われている。
"大き過ぎて潰せない"。
この言葉を聞く度に僕は違和感を感じてしまう。
 
今は交渉が中断されているけど、GMとクライスラーの合併も噂されている。
大き過ぎて潰せない企業が、巨大化することでますます潰せなくなっていく。
航空業界ではノースウェストとデルタの合併、世界最大の航空機会社が生まれたりしている。
マクドナルド、インテル、マイクロソフト….。さらにこれからは放送や新聞業界などでも。
いろんな分野で"Too Big To Fail"な企業は今後ますます増えていくだろう。
 
しかし企業がどんなに巨大になろうと、時代の変化には敵わない。
規模が大きくなるほど思い切った戦略も取りにくくなる。
どんなに大きくても、業態が古くなって「ダメなモノはダメ」なのである。
 
巨大な規模で、世界に絶大な影響力を持ち、でも赤字垂れ流し、将来的にも持ち直す可能性は少ない….。
そういう会社が数多くできてしまったら、もうニッチもサッチもいかない。
それに「潰せない」と経営陣の外で判断するのなら、その責任は誰が取るのだろうか?
「社会コスト」として世の中全体で負担しろ、というのはやっぱり変だと思う。
 
そりゃケースバイケースではあるが、"Too Big Too Fail"という理由は基本的にあってはならないと思う。
 
 
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裁判員制度に大反対

 
裁判員制度が来年からいよいよ始まるらしい。
こんなバカバカしい制度、途中で潰れるだろう….と思っていた。
しかし是非を問われることなく、"やることありき"で準備だけがどんどん進んでいる。
 
法務省の方々。そして裁判所の方々…..あなた達は本気なんですか?
 
 
僕はこの制度は大反対です。全く理解ができません。
 
今回特にヒドいと思うのは、重病で無い限り、仕事を置いてでも裁判に参加しろ!ということです。
この点については正気の沙汰じゃないというか….「頭おかしいんじゃないの?」と罵倒したい気持ちです。
 
かつて国家制度として労役を強いた例は、「徴兵制」と「懲役」くらいしかない。(はず)
「選挙」ですら法的な強制力は伴ったものではありません。
選挙への参加より、(ポッと出の)裁判への参加の方がなぜ/いつから大事になったんですか?
 
この制度は法律によって「労務の負担」強制するものです
税金じゃないのであまり騒がれませんが…強制的負担という意味では全く同じ。
いつの間にか個人としての様々な権利が侵されているんです。 
しかも「法の番人」であるべき裁判所が….です。
だからこればかりは黙ってちゃいけないのです。
 
一番問題だと思うのは、こんな生活に重大な影響が及ぶ制度が大した議論もなく決まっていたこと。
こんな適当なプロセスで国民全体に「労役」を課すことができた、という前例ができるのは全く恐ろしいことです。
僕はかつての「国家総動員法」と同じ"芽"を感じました。
 
僕はそれこそ法律は素人でありますが、その素人が判断してもいいのであれば、この制度自体が、「職業選択の自由」(第22条)や「財産権の保証」(第29条)に抵触する可能性が高いと思います。
少なくとも僕は対価(日当?)を貰ってこんな仕事をしたくないし、こんなので時間を取られたら収入にも支障が出ます。
まして裁判に関わりたくない人までを含めて、選択の自由を与えず、強制参加させるというのは「苦役」以外の何ものでもない。
これは明らかに苦役からの自由」(第18条)に違反するものと思います。
他人の人生に踏み込んで、その秘密は家族にも話せず。場合によっては死刑判決まで出さなきゃなんないんですから。
 
「国民感覚を反映したい」というなら、まずはこの制度の撤廃という形で反映してください。
 
 
裁判所が「憲法違反」にも問われかねない、このバカバカしい制度は一体どういう発想から生まれたのですかね?
 
最高裁判所のHPに書かれている説明によると
「裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待」
ということだそうです。
これって「私達の裁判はあまり信頼されていない」というのを自ら認めてるってことじゃないですか?
 
難しい試験を通ったその道のプロが「責任ある判断ができない」というなら辞めるべき。 
逆に裁判を簡単にすることで「素人にでもできる」というのなら、 コンビニのバイト並みの給料に下げてください。
 
裁判官が浮世離れしていることに対して、なぜ一般の人達が尻拭いをしなければならないのですか?
 
自分達がまともな裁判ができない、だから国民の皆様に(税金と同じく)労役を負担して欲しい、ということならまずは「迷惑を掛けてゴメンナサイ」からが筋でしょう。
能無しな自分を棚上げして、エラソーに裁判員を面接で選ぶなんてもってのほか。勘違いも甚だしい。
そんな時間があれば街に出て「世間の感覚」というものを学んで欲しいものです。
 
そもそもこんな制度、「誰のために」作ったんですか?
「崇高な裁判に参加できたら国民は喜ぶはずだ」という"裁判関係者の独りよがり"じゃないのですか?
「裁判が信頼できないから、自分を裁判に参加させろ!」なんて、一般の人達は誰も望んじゃいなかった。
少なくともそんな要望、僕は誰からも聞いた事がありません。
 
もちろん裁判を受ける側だって「素人に雰囲気で裁判させろ」なんて誰も望んでいない。
少なくとも僕は裁くのも裁かれるのもイヤです。
誰のためにもなっていない。だから止めるべきです。
 
 
この制度を発案した人、そして賛成した議員達にぜひ問いたい。
「素人」に「気分」と「雰囲気」で裁かれるということがどういうことか想像しましたか?
この制度で、もし自分や友人、家族、子供が裁かれればどんな気持ちになるか、考えたことがありますか?
 
"未来予測"的に言えば、この制度が続けばたくさんの悲劇が起こると思います。
"気分"と"雰囲気"の裁判というものがどんなものか。
「憲法違反」ということで、それこそこの制度を作った人に体験してもらいたいものだ。
 
 
この制度は、裁判所が自ら「法の下の平等」(第14条)という大原則を放棄するということに他なりません。
 
有罪/無罪が裁判員の当たり外れ=運で決まることが「平等」なのか?
法律を知らない素人に量刑を決めさせることが"平等"につながるのか?
他の事例の量刑が分からないのに、どうやって「平等」を保とうというのか?
…..アメリカの陪審員ですら量刑は決めません。
既に模擬裁判でも量刑のばらつきが問題になっています。
 
そんな裁判制度が人々の「信用の向上」につながりますか….?
それどころか法治国家の危機であり、憲法すら守れない裁判所に失望するだけです。
 
今からでも遅くない。こんなバカげた制度はとっとと止めてください。 
止めることもまた勇気です。
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「投資銀行」は今後どうなるか?

 
「未来予測」="中長期的な世の中の変化"を考える上で、投資銀行という業態が今後どうなるのかは気になるところだ。
「投資銀行」というのは、M&Aを仕掛けて巨額の資金が動かしたり、最先端の金融工学を駆使して資金運用したりというのが主な仕事である。
有名大学のMBAが考え出したスマートなネーミングと、高等数学を駆使した小難しい理論によって、つい本質を見失いがちになる。
でも物事の本質は不変であり、そして意外と単純だ。
 
「レバレッジ」という言葉は今や"流行"のように使われている。
投資においてレバレッジをかけないことは、ビジネスチャンスを掴めないダメな人という目を向けられることさえある。
しかしどう飾ったところで「レバレッジ=借金」であるという本質に変わりない。
取得した株を担保に借金することを、カッコよく「レバレッジ」と言い換えているに過ぎない。 
 
そして紙くずになってしまう可能性がある金融商品は「クジ」に過ぎない。 
オプション取引、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)….
投資と投機は違うし、ましてギャンブルやクジは投機でさえも無い。
 
今起こってることは、「借金をしてまでギャンブルをやってはいけない」という単純なことなのだ。
 
手元の余裕資金を運用している分には、つぶれない限りは価値がゼロになることもない。
短期的に下がろうが上がろうが一喜一憂することはない。
だけどそれがレバレッジ(=借金している)があるから、追証がかかったり、強制売却で投売りになってしまったりする。
投資対象が潰れるという以前に、マクロ経済の周期的変動で価値がゼロになってしまう可能性がある。
借金でするクジやギャンブルは「投資」とは言わない。
 
「投資銀行」という言葉も同じだ。
銀行、中でも高給取りでカッコイイ響きがあるが、法律的には銀行ですらない。 
欧米の実態で言えば、「銀行法の規制外で金融工学で儲けるノンバンク」に過ぎない。
普段は規制の外で好き放題にやって、潰れそうになったら慌てて「商業銀行」に衣替えしてFRBの保護を受けようとする都合主義がまともとは思えない。
(ゴールドマンサックスとJPモルガンのことです)
規制による義務と権利は表裏一体のものであり、アメリカ人でさえウオール街を批判するのは当然だ。
 
今回の金融危機によって、少なくとも米国では「投資銀行」という業界自体が消滅した。
世界市場でビジネスを展開するメガバンクにとって、「ユニバーサルバンク」として投資業務(本来は株式などを引受けること)は今後も必要だろう。
 
だが利益を追求すれば、それだけ「リスク」も大きくなる。
投資銀行は規制も無く、自己の利益のために世界経済をリスクにさらすことも厭わない。
その結果、各国政府、或いは世界経済全体を担保にしても「ヘッジ」しきれないほど、今や「リスク」は膨れ上がっているのだ。 
 
規模が大きいほど「金融の安定」のために潰せないことが、今回図らずも証明されてしまった。
まして株式会社は有限責任である。
失敗の責任を取らなくていいのであれば、エスカレートするのは当然だろう。
 
金融工学を駆使して世界にリスクを撒き散らかすビジネスモデルというのは、今回の騒動で否定されたと考えていいと思う。
レバレッジについては、世界的な枠組みで今後何らかの規制が入る可能性が高いと思う。
金融に限らず、無制約・無限定に競争できる時代は終わったのだと思う。
 
ポスト・投資銀行の金融は、どんな世界になるのだろう? 興味は尽きない…..。
 
 
ところで日本の野村證券は、リーマンの残骸を拾って何をやろうとしているのだろう??
投資銀行的な仕事というのは、たぶんもう無くなっちゃうというのに。
そもそも誇り高いアングロサクソン、それもトップクラスのエリート達が日本企業の下で仕事をするのだろうか…??
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接待の極意は「茶の湯」にあり

 
何の雑誌か忘れてしまったが、少し前に「茶の湯と接待」についての記事を読んだ。
要するに「茶の湯の心を以って接待に臨め」という話なんですが…. いい話なので書きます。
 
茶の湯というのは、日本の伝統文化が生み出した「究極の接待手法」です。
で、そのたどり着いた"究極"のスタイルというのは、沈黙を基調としたコミュニケーションです。
言葉を尽くすことが必ずしも濃厚なコミュニケーションではないことを改めて思い起こさせてくれる。
 
大切なのは「明日は死ぬかもしれない命」という意識。
「一期一会」という言葉があるように、相手に真剣に向き合うことが大事。
だから1:1で対峙して、自らがもてなすことに意味がある。
人生で一度、真剣勝負だからこそ、できるだけ神経が行き届かせたいと思う。
美にこだわるのも、美しさの追求というより「繊細な心配り」の表れです。
 
接待はあくまでも「自分がもてなすこと」が目的。
それが相手に伝わるかどうかは別の話で、伝わらなくてもそれは構わない。
無心で相手をもてなすからこそ、伝わる気持ちがある。
逆に最初から生臭い話をしたり、自慢話をしてたら「もてなし」になるはずがない…。
 
利休は茶の湯のあり方について、
 
 「茶の湯とはただ湯を沸かし、茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」 
 
という言葉を残している。
テクニックや形に走りがちだけど、本質はとてもシンプルだ。
 
心構えについてさらに踏み込んだ「七則」という有名な言葉がある。
 
 茶は服のよきように点て、  
 炭は湯のわくように置き、  
 冬は暖に夏は涼しく、  
 はなら野の花のように生け、  
 刻限は早めに、  
 降らずとも雨の用意、  
 相客に心せよ  
 
接待は純粋に人間関係を深めることが目的。
ただ無心にあるがままに。
……だけどなかなかできないのが人間。(笑)
すいません。
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「世界恐慌」のゆくえ

9月17日に金融危機の始まりについて書いてから2週間。
その間にNYダウはあっという間に3000ドル以上も下がってしまった。
 
今も今週最後の米国市場の動きをビクビクしながら見ているが、一時は500ドル以上も下げた。
世界経済は"未体験ゾーン"に突入した。
 
投資をやっていると希望的なシナリオにすがりたくなる。
だがこれは一時的な現象や調整局面といった生易しいものではない。
紛れもなく「世界恐慌」が始まっているのである。
この"新しい現実"を認識するこそが、これからの方針を決める第一歩である。
 
 
先日もブログで書いたが、「恐慌」はまだ始まったばかりである。
日本のバブル期がそうだったように、証券・住専の次はノンバンク(カード系)へと波及してくる。
特に米国はカード社会で、GDPに占める個人消費が7割と突出している。
仮にノンバンクが破綻すれば、経済に与える影響は日本より遥かに大きい。
現在、不動産で行き詰まった人の多くが金利の高いカードローンに逃げている。
だが不動産の値上がりが期待できない以上、もうあぶく銭は得られないし、借金返済の見通しも立たない。
株や不動産の投げ売り、カード破産が急増するのは避けられないだろう。
消費低迷の影響はサブプライムとは時間差でやってくる。
本当の意味での「不況」はこれからなのである。
 
 
直近で起こる可能性が高いことで、特に影響が心配されるのは次のことである。
 
・GM、フォードの破綻(チャプター11の申請) 
→3ヶ月前まで30ドルを超えていた両社の株は、今やGMが4ドル、フォードに至ってはわずか2ドルである。
リーマンが株価が1ドルまで落ちて破綻したことを思い出して欲しい。一般的に言えば株主に見放された"クズ株"である。
いつ飛んでも不思議ではない。…..というか飛ばない方がむしろ不思議だ。
→ただしGM/フォードは儲かる自動車が作れないというのが問題で、買収の魅力が乏しい。
しかも規模が巨大であるため、引き受け手は現れない可能性が高い。
裾野も含めると余りにも巨大であり、破産させた場合には数十万人規模の失業者が出ることになる。
結局、"Too Big to Fail"で米国政府は公的資金を注入して潰さないだろう。
しかも米国にとっては貴重な輸出産業であり、米国にとって自動車は「誇り」でもある。
 
・ノンバンク系金融機関の破綻  
→世界最大のノンバンクはGEである。またシティバンクもカード事業の割合が大きい。
前述のように、不況による消費低迷の影響やカード破産が本格化するのはこれからである。
 
・商業不動産関連ローン(CMBS)の価値目減り
→Alt-Aやプライムより、今後の影響が懸念されるのは「商業不動産担保証券」(CMBS)だ。
各金融機関共に金額が大きく、地価下落の影響がストレートに出てくる。
しかもノンリコース(不遡及)条項のものが多いので、ローンが飛んでしまったら損失は金融機関がモロに被ることになる。
バブル崩壊で地価が2/3が半分程度に下落する可能性が高い。
あちこちで債務不履行が発生することになるだろう。
金融機関が保有するローンの資産価値は大きく目減りすることになる。
・同様に事業資金として使われるLBOローンも、延滞率の増加で資産価値が落ちる可能性が高い。
 
・資産運用会社の破綻 
→生保、損保など資産運用が中核業務になっている会社で破綻が相次ぐだろう。
昨日公表された大和生命の例はまだ氷山の一角である可能性が高い。
生保などでは低金利の中、過去に高利回りの条件で残っている保険も少なくない。
運用利回りを上げるためにレバレッジは掛けているのが普通である。
→一週間足らずで株価が約3割も落ちても耐えられる資産運用会社の方がむしろ異常である。
→体力の弱い中堅、中小企業ほどリスクを取っている可能性が高く、評価損などで業績は一層厳しいものになるだろう。
 
・国家レベルの破綻   
→昨日から、アイスランドの主要3銀行が全て国有化されたというニュースが流れている。
 国家レベルでの破綻が懸念されている。
→特に懸念されるのは「韓国」だ。
GDPに占める輸出産業の割合は日本が約15%に対して、韓国は約7割である。
通貨変動の影響、海外市場の不況による影響がストレートに業績に響くことになる。
米国という最大・最強の顧客を失うと非常に厳しくなるだろう。
最悪のシナリオは米国自身の破綻(デフォルト)である。
米ドルは(一応まだ)基軸通貨であるため、理屈の上ではデフォルトをしないことになっている。
ただしドルを大量発行すれば「ハイパーインフレーション」になることが懸念される。
米国経済は海外投資家からの資金が無ければ回らない構造だ。
破綻する可能性は十分過ぎるほどある。
 
・中間決算の発表時に下方修正が相次ぐ
→10月中旬~後半にかけて行われる中間発表では、株価暴落による評価損の計上が相次ぐだろう。
さらに輸出産業については、円高による差損と米国経済の低迷で、下方修正が相次ぐだろう。
ひとつの山場になると思います。
→さらに金融機関は自己の生き残りのために、なりふり構わず「貸し剥がし」をやってくるだろう。
不況に輪をかけるようであるが、これも全く日本のバブル崩壊時と同じである。
 
その他にも中堅規模への波及など、取り上げればキリが無いほど大きな変化が予測される。
 
 
借金はできても稼げない(=返済の目処が無い)、という米国の問題は何も解決していない。
今はただ、これ以上出血しないように絆創膏を貼っているだけだ。
根本的な解決には産業構造の改革と、身の丈にあったレベルに支出を落とすしかない。
地価が適正水準まで落ち着きを取り戻す必要がある。
少なくとも5-6年は掛るだろう。
 
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「味わう」ということ

 
最近、いろんなもののスピードが一段と速くなっているなぁ….と感じる。
 
商店街では新しいお店が次々にでき、店頭には毎日のように「新商品」が並ぶ。
テレビではいろんな切り口で新しい「スター」が誕生し、そして消費されていく。
インターネットには新しい情報が次々と書き込まれ、"うたかた"のように流れて消えていく。
 
新しいものが生まれたり、更新が早くなることは、より多くの体験ができるという意味ではいいことかもしれない。
でもその分、何もかもが「表面的」になってしまっている感じがしてならない。
それは新しいオモチャという「刺激」を次々に欲しがる子供と、求められるままにそれを無分別に与える親に似ている。
 
「新しさ」という刺激というのは、分かりやすく甘美で….それは麻薬のようなものだ。
そんな生活の中で、僕らは「味わう」という感覚を忘れかけている気がする。
 
 
僕自身のことでいうと、最近は日常の何気ないことからも、いろんな「味わう」喜びが感じられるようになった。
きちんと作ったご飯の美味さ。その有り難さ。
一生懸命作ったモノの素晴しさ。
心血を注いだ音楽、本….、そして映像やゲームなどの創作物。
心が尽くされたものからは、その想いがきちんと受け止められるようになってきた。
 
「味わう」ことの喜びは「新しさ」がもたらす表面的な刺激とは違う、深い感覚だ.と改めて思う。
年を重ねて、物事が少しはわかるようになってきた感じがする。
 
人生の楽しみの半分以上は、「味わう」ことだと思う。
人、モノ、造形物、自然、季節の移ろい…。味わうに足る「本物」はたくさんある。
 
だけど味わうためには、基礎となる知識や経験がどうしても必要になってくる。 
こういう時代だからこそ、意識して立ち止まったり、掘り下げてみることって大切だと思う。
 
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日本人の条件

 
最近は俄かに移民問題に注目が集まってきた。
与党では「1000万人移民計画」などという過激な意見も出ている。
これは極端にしても、「日本はお金持ちの国だから移民は入れない!」などと言っていたのに180度方針転換だ。
人口増加から減少に転じた時の動きと良く似ている。
 
先進国の大半ではこれから人口減少が始まる。
特に若年労働者はどこの国でも不足するようになるため、今やどれだけ(安くて)優秀な労働力をかき集めるかという競争が始まっている。
お隣の韓国も方針転換、今や積極的に移民を受け入れ始めた。
その結果、予想通りというか….仕事を奪われたり給料が下がった地元民との摩擦が始まっている。
 
日本もこの数年のうちに、移民問題に向き合わざるを得なくなるのは間違いない。
日本は人口に対するグランドデザイン、=国家戦略が依然として無いままだ。
世界的に見れば移民獲得レースに完全に出遅れてしまっている。
どうなることやら…..。とても心配になる。
 
移民が増えてくると、これから「日本人とは何か?」が改めて問われるだろう。
実際、日本人の定義というのはなんだろう?
 
日本に生まれれば日本人? では帰化した人は?
単純に国籍があるということ?
それとも血? 民族的なもの…? 
でもアイヌや沖縄(琉球)の人達など、元々日本は多民族国家だしね.。
韓国系や中国系の二世三世もいる。
 
 
僕自身、このテーマを最近考えてて、やっぱり血や出自じゃないと感じる。
 
「日本人としての共通の価値観」を持っているか?
これに尽きると思う。
 
価値観が同じなら、目が青かろうが、肌が黒かろうが僕は「日本人」と認められる。
逆にこれがなければ、日本で生まれようが、国籍を持っていようが僕は違うと思う。
 
共通の価値観を作るという点では、ある程度共通の体験があることはとても重要だと思う。
例えば小学校の頃にはこんなことがあった、遠足ってこうだったよね、とか。
一見どうでもよさそうだけど、考え方という点では実は大事だったりする。
 
価値観の形成には、文化や伝統、歴史への理解が大切なのは言うまでも無い。
日本社会の礼儀、社会常識、習慣、ことわざなど…。
例えば「犬も歩けば棒に当たる」とか、日本人なら誰でも当たり前のように知っていること。
普段はあまり気にしないけど、こういう一般教養(=日本社会の共通認識)ってとても大切だと思う。
特に日本でビジネスをするためには必要不可欠な「スキル」と言っていいと思う。
 
もちろん言葉は基本。
きちんとした日本語が使えることは日本人としての最低条件だと思う。
海外に縁が無いというのに、まともに日本語が書けず/話せず、文化も歴史も理解していないという人は、外国人が大量に入ってくる時代になると相当まずいと思う。
これからは無条件で日本人でいられる時代ではなくなるだろうから。
 
「帰国子女」も決して良いことばかりでもない。
留学自体が悪いのではないけど、これからはよく考える必要があると思う。
 
「日本人の定義」がこれから何度も議論されることになると思う。
そしてこれが僕なりの答えです。
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CEATEC JAPANの基調講演

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本日無事終わりました。(ホッ)
お陰様できっちり満席、盛況のうちに終わることができました。
講演自体の評判も良かったようです。
席を埋めるのに苦労していたセッションも少なくない中、大変有難いことです。
 
「パーソナルカー」の具体例として、フィアロコーポレーションさんに持ち込んで頂いた自動車のインパクトは大きかったようです。
講演終了後も写真撮影で人だかりができてました。
 
百万言の説明よりも「実物」を見せる方が100倍説得力がある。
幾ら口で「カッコイイ車だ」「パーソナルカーだ」と言っても、「ふーん」で終わっちゃいますからね…。
他人の上手な説明より、やってる本人の話は100倍説得力がある。
改めてそう思いました。
 
ご多忙の中をご参加いただいた方、きちんとご挨拶できずすいませんでした。
ありがとうございました。
 
 
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米国 ~金融不安の連鎖は続く

食の未来2008-2020(P79) 
 
「未来予測レポート」で悪いシナリオとして発信し続けていた「米国経済の破綻」が現実になってしまった。
バンクオブアメリカによるメリルリンチの救済買収、リーマンブラサーズの破産、そしてAIUの公的資金の投入…。実際に起こってみると底知れない怖さを感じる。
 
今年4月に発刊した「食の未来」の中でも、今米国経済で何が起ころうとしているのか? かなり踏み込んで解説しています。
(※写真は原稿 食の未来編2008-2020 P79)
緊急提言として該当する1P分を写真で掲載しますので、ぜひ一読してほしい。
 
既にその1年前、昨年4月に出した「デジタル産業2007-2020」の中でも、米国経済が抱える潜在的なリスクについて触れている。
(デジタル産業2007-2020 P102-P103) それが現実になっているということです。
未来予測レポートを持っている人は改めて読んでみてください。
 
 
一番重要なのは、「米国金融の崩壊はまだ始まったばかり」という認識だ。
これは一時的な波ではありません。これは避けられない構造的な変化です。
「ちょっと待てば回復する」など甘い認識は持ってはいけません。
 
今は対症療法的に出血を止めているだけで、米国経済が抱える問題は何も解決していない。
問題の本質は、米国がこれ以上の借金ができなくなってきたということ。
そして米国は外貨を稼げる産業が何も無いという基本構造も変わっていないということだ。
収入が無いのに過大な借金をし続ける、米国経済の本質は何も変わっていないのである。
 
なぜロクに収入もないのに毎年100兆円にも上る借金ができるのか?
「強いアメリカ」という高い信用力のほか、その担保になってきたのが不動産です。
 
しかしご存知のように、「サブプライム」と呼ばれる信用力の低い住宅ローンから焦げ付き始めている。
不動産価格が上がらなければローンが滞り、関連する金融商品が値下がりし、それが世界中の金融機関に波及するという構図だ。 
米国の旺盛な消費意欲は、その多くが不動産価格の上昇が牽引している。
不動産価格が上がらない限り、今のような成長モデルを続けていくことは不可能なのだ。
端的に言えば「バブル」であり、"アブク銭"だから気前良く使えたという単純な話なのである。
 
住宅担保ローンからより、急場しのぎで金利の高いカードローンへの切り替えが始まっている。
サブプライムの次はカード会社へ飛び火することが懸念される。
また個人消費が7割の米国で消費冷え込めば一般企業の業績への影響は避けられない。
最終的には優良企業に務める人のローン=プライムにも波及するだろう。
未来予測レポートのシナリオは、「サブプライム問題→カード破綻→プライム」である。
 
これを解決する唯一の方法は、新たな環境に合わせて、新しい産業構造へと再構築することだ。
そして身の丈にあったサイズで経済規模を適正化すること。
すなわち、日本の90年代後半と同じ「構造改革」が必要だということです。
だがそのためにはものすごく時間が掛かる。
「米国版失われた10年」がこれから始まるだろう。
 
 
今は大手の金融機関から処理が始まっているが、より条件が厳しい中堅以下も影響を受けていないはずがない。
決して脅かすわけではなく、米国の金融不安の連鎖はまだ始まったばかりなのである。
同じようなニュースは今後もしばらく続くだろう。
 
投資をしている方はできるだけキャッシュポジションに戻して、当面は様子を見ることをお勧めします。
今後もさらにいろいろな金融機関で先行き不安が顕在化し、年内には1ドル=80円台に突入する可能性が高い。
しかし米国政府がAIG救済に乗り出したりなど、理屈では有り得ない事が起こります。
投機的な動きはしばらく控えた方が良いと思います。
 
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“O”と”T”ばかりの未来

 
最近ある人と話をしていて、「これからは"O"と"T"ばかりだよね」という話題になった。
OとかTが何かというと、「SWOT分析」の話です。
 
SWOT分析というのは、戦略立案の教科書に出てくるようなベーシックな分析手法です。
 ・"S"=Strength (強み)
 ・"W"=Weakness (弱み)
 ・"O"=Opportunity (チャンス)
 ・"T"=Threat (脅威)
これを並べて"SWOT"分析です。
 
僕は個人的には「どこどこの著名な学者が提唱するXX理論….」とかは、(知識としてはともかく)ほとんど重視しません。
でもこのシンプルな分析手法は誰にでも分かりやすいので良く使っています。
 
SWOTの"S"と"W"は「内部環境」の分析であるし、「現状」の分析でもあります。
これに対して"O"と"T"は、「外部環境」の変化を分析するものであり、「これから」の予測でもあります。
「未来予測」というのは、この"O"と"T"を読むプロセスと言えます。 
いろいろな切り口でレポートを書いていて、これからはまさに"O"と"T"ばかりが並ぶ時代だなぁとつくづく思います。
 
今、あらゆる産業で基本的なフレーワークが変わろうとしています。 
70年以上続いた自動車業界、50年以上続いた放送業界、食料、エネルギー、医療….。
これはまさに「革命級の変化」です。
僕はいろんな企業でそれを目の当たりにしていて、この"O"と"T"をいろんな分野のできるだけ多くの方々に伝えたいと思って仕事をしています。
 
「致命的になりかねない脅威」と「100年に一度のチャンス」が入り乱れる時代が始まっています。
 
少しだけ視野を広ければ、やるべきこと/やれることははたくさんあるはず。
少なくとも「現状維持」は有り得ない。 
迷っているなら、動かないと損だと思います。
 
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