日本のビジネスの未来は決して暗くない

 
最近、日本の産業の未来を悲観する声ばかりが満ち溢れている。
でも僕は決してそんなことはないと思う。
 
今までの枠組み・ビジネスの常識で考えれば、先行きが暗く思えるのは当たり前だ。
社会のニーズに合わなくなり、時代と共に消えるビジネスが出てくるのは避けようがないこと。
 
 コンピューターの進歩によって、アマチュアでもプロと遜色がないものが「技術」的にも作れるようになった。
開発言語を駆使した昔と違い、アプリケーションが使える程度のスキルがあればコンテンツが作れてしまう。
さらにブロードバンドによって、誰もが使える「流通」が実現しつつある。

 
消えるものは今の延長にある。だからハッキリと見える。
一方、これから新たに出てくるものは、姿が見えないor漠然としたものである。
 
マイナスのものはハッキリ、プラスのものはぼやっとしている。
だからネガティブなことばかりが目立ち、全体的には暗い気持ちになってしまう。
 
 
でもレコードがCDに代わり、さらにデジタルミュージックになっても、「音楽を楽しみたい」という目的は変わらない。
馬車がエンジン車になり、これからEVになっても、「自由に移動したい」という目的は変わらない。
代わるのはあくまでも「手段」。欲求そのものが変わるわけではない。
そして人間の欲望には限りが無いのである。
 
 
アプリーションやコンテンツといった「サービス」—-広い意味での「ソフト」は、これから「とてつもない時代」を迎えるでしょう。
敢えてもう一度言います。「とてつもない」である。
 
コンテンツやサービスは、工業のような巨額が元手がなくても作れてしまう。
工業(モノづくり)の場合は、資金力=生産力≒スケールメリットでコストダウン=規模が大きい方が有利であった。
コンテンツやアプリケーションを開発するにももちろんお金は必要だ。
だが幾らお金を掛けたからといって、生産量(?)が増えて、キャッシュフローも比例して伸びる….なんてことはない。
 
それは映画で考えると分かりやすい。
巨額な制作費を掛けて美しいCGをふんだんに使ったところで、興行収入が良くなる訳ではない。
お客さんが見たいのは「きれいな映画」「高性能な映画(?)」ではなく、「ワクワクする映画」「楽しい映画」なのである。
 
ソフト中心の時代は、工業化社会の常識を捨て去るところから始めなければならない。
 
 
僕は今、これから始まる新しいソフト・サービスの時代にワクワクしています。
20代・30代からたくさんの新しいベンチャーが登場し、"とんでもない"成功者が必ず出てきます。
そうなると悲観的な風向きはガラリッと変わると思います。
 
 
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