日本の品格

 
最近「国家の品格」という本が売れているそうだ。
雑誌の特集記事によると既に10万冊を超える勢いらしい。
 
まだ読んでないんだけど、僕も最近どうも「品」というものが軽視されてるのが気になってる。
 
 
昔から歴史小説が好きで、ヒマを見つけては読んでいる。太平洋戦争、戦国時代、幕末、或いは平安・鎌倉などもっと古い時代…いろいろだ。
読んでいてつくづく感じるのは、昔の人は精神の成熟がものすごく早いなぁ…ということだ。
 
たとえば明治維新で活躍した坂本竜馬が亡くなったのはまだ33才。国事に奔走していた当時はまだ20代だったことになる。
高杉晋作が亡くなったのは28才、中村半次郎が30才。安政の大獄で斬首された橋本佐内は25才、吉田松陰は29才。
有名な新撰組でいくと沖田総司が27才、近藤勇・土方歳三が34才。
皆驚くほど若い。
 
 
歴史に名を残すような仕事はもちろん立派だけど、それ以上に印象的なのは人としての考え方がしっかりしていることだ。独自の倫理観と誇り。礼節を重んじ、自分を厳しく律する美学。
例えば時世の句ひとつとっても、そこから深い感受性や教養が読み取れる。
そういうものが今も多くの人々の心を捉えて離さない
昔の人間は今よりもずっと品性が高かったと思う。
 
 
昔は平均寿命も短く、14-16才位には元服して大人の仲間入り、40代ならもう老境と呼ばれてもおかしくなかった。人生のスピードが今より速かったのかもしれない。
ただ同じ時間を過ごしてきたはずなのに、なぜ人はこんなにも幼くなってしまったのだろう?
今の方が教育環境も整い、もっと自由に行動でき、情報は溢れるほど手に入るのに。
確かに勉強はできるようになったかもしれないけど、人として一番大事な部分がどんどん細くなっている気がしてならない。
 
 
黒船が来航した時、外国人は日本の文化水準の高さに驚き、「日本人は独自の価値観を持ち、教育水準も高い。驚くほど清潔で親切、そして礼儀正しい。ここは決して未開の蛮国では無い。」と報告したという話がある。
日本の文化と人々の気高さに触れた外国人達は畏敬の念を抱いたそうだ。日本を植民地化するのは無理だと諦め、それが結果的に国を守った、と指摘する学者もいる。
 
人間はただ生きているだけなら「動物」に等しい。
どんなに豊かであろうと、どんなに能力があろうと、教養も誇りも無ければ人としての敬意は生まれ無い。
西洋的な思想で考えれば、無教養で未開な人々ならキリスト教的な価値観で「教導」すべきだ=だったら俺らで一人前の人間にしてあげよう = 植民地化は正しい、という支配の論理に繋がるだろう。独自の文化、そして誇りを失った国はこうやって滅ていく。
 
 
もうひとつ外国人を驚かせたのは、多くの武士が経済的には貧しい生活を送りながら、金銭に執着しない生活をむしろ誇りとし、また周囲の人々もそんな貧しい武士達を尊敬していたことだ。
西洋では基本的に貴族=お金持ちであり、武士のような階級は存在しない。
お金という分かりやすい価値観に拠らない以上、社会全体でものすごく高度な精神文化を理解していることが前提になる。当時の外国人が驚いたのも無理は無い。
 
 
今の中国などを見ると、経済的に豊かになろうともモラルが無い国がどんなに蔑まされるか分かる。
表面的には友好的でも、尊敬得られない国や人は陰では必ず舌を出される。
日本も社会全体で「品格」を重視する雰囲気にもっとなって欲しいなぁ…と思う。
 
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